【いいことなしです】不正が強制される仕事は不安がヤバイ!
仕事をしなければ、賃金は得なれないので生きてはいけないわけです。
たとえそれが嫌な仕事であっても他に行く当てもない人は我慢するしかないです。仕事をすることは多くの人にとって大きな苦痛といえるでしょう。
そもそも、週五日の仕事はしんどいですし、できればもっと休みが欲しいです。一日八時間もできれば勘弁してほしいところです。
八時間って結構長いですから。八時間という長さは一日の三分の一の長さです。週五日働くなら在宅で一日四時間から五時間働くのが理想であり、小さな夢でもあります。
私の理想の話は置いておきまして、やはり多くの人が職場に拘束されていることでしょう。
悪い人はいないし、それほど忙しくないような居心地のいい場所ならいいでしょう。しかし、そこが不正やら非倫理が横行するような場所ならばどうでしょうか?
いつ悪行がバレて売り上げが下がったり最悪の場合、会社自体が潰れてしまうかもしれません。それを考えるとドキドキハラハラものです。
働き口をなくせば労働者たちは路頭に迷います。路頭に迷うことはぜひとも避けたいところです。
また、評判に傷がつき、売り上げが下がり、賃金が削られすことも恐ろしいです。生活のことがありますしね。不正が横行する職場で働けば、このような不安と戦い続けなければなりません。
だから、落ち着いて毎日が過ごせないのです。安心して仕事ができなければ仕事がはかどりません。そうなると売上はますます落ちるでしょう。
不正をさせる嫌な仕事
人をだますような商売はいけません。
たしかに、営利を追い求めることはいいことです。会社がお金を得られれば商品の品質は保たれますし、新しいビジネスを生み出せることもできます。
巡り巡って私たちにも恩恵が得られます。
しかし、売上を伸ばすために不正をするのは別です。
インターネットが普及した今では消費者が意見を発信しやすくなっています。
だから、不正がばれれば炎上が起こり、批判が寄せられるくらいならまだマシですが、ひどいと会社のイメージ低下は避けられません。
例えば、他でログやらせ業者事件では「食べログ」という飲食店の口コミサイトに好意的な評価を投稿し、ランキングを上げる見返りに金銭を受け取る業者がいることが明るみになりました。
業者に依頼した店側のイメージ低下は避けられないでしょう。
このような手法は短期的には利益を増やせるかもしれませんが、一度バレただけで大きな損失になるはずです。そこで生まれたダメージは長く続くことでしょう。
にもかかわらず売上を伸ばすために、不正をするというやり方が正しいと見なされる場合があります。
なぜなら、理由は3つあります。
①リーダーが従業員の経済的幸福を守ることは人として当たり前と思っていること、
②リーダーは罰せられないこと、
③組織の契約違反は大目に見なされること
の3点が挙げられます。それに不正がバレるとは限りません。これだから不正は横行し続けなくなることはありません。
騙された人、不正行為に巻き込まれた従業員の人たちは気の毒です。それでも商品が売れないよりはマシかもしれません。このジレンマは難しい問題です。
不正があってもリーダーは罰せられない
罰とは悪いことをしないように警告する役割があります。
悪いことをした報いと悪しことをしないように予防する意味もあります。
刑法がいい例です。刑法を破ったら罰が待っています。
このおかげで私たちは安心して暮らすことができます。ですが、この罰はリーダーにはあまり適用されないみたいなのです。
なぜでしょうか?
事実が世の中に明るみにされるのが怖いからでしょうか?
もちろんそれもあると思います。他にも理由は考えられます。
例えば、私たちは考えることが出るようになった時から、正しい人は救われ、悪い人は罰を受けると思い込んでします。
もちろん世界はそのように公平にはできていません。
救われない人もいますし、罰せられない悪い人もいます。
悪いことをするリーダーは罰を受けるべきだと考えるはずです。
ですが、同時にこうも考えます。
ひどい目に遭った人にもそれなりの理由もあるのだと。このような思考のバグのほかにも理由はあります。
それはリーダーに出て行ってもらうのはもったいないからです。
というのもそのリーダーが人脈や金脈といった利益を約束してくれます。過去にしたことよりもこれからしてくれることに重きを置きたがります。
何かやらかしたことの不利益よりも、これから入ってくる利益の方が優先されます。
それに人間は大昔から仲間を信じることでここまで生き残ることができました。
それは今でも同じことです。たとえ悪いことをしたリーダーでも同じことです。
今回限りのことだからとか悪気があってやったのではないと理由をあれこれ考えて信じ込んでしまうわけです。
ただリーダーは罰せられませんでしたで終わるならいいですが、下の人たちに責任を転嫁する可能性もあります。
組織の契約違反は大目に見られる
不正をしている組織を見たら大目に見るのはやめましょう。
組織の契約違反はなぜか個人の違反よりも大目に見られます。
それは私たちがやりたくてやったのではないとか経営上仕方なくやったと考えてしまうのが原因です。
組織の契約違反を見たときに「こりゃいかんな」と「いいや、これはやりたくてやったんじゃない」という考えが思い浮かびます。
ですが、この2つの考えは一貫しません。頭の中で一貫しない考えが交差するのでもやもやします。
そのもやもやした状態で次に何をし始めるかというと、できるだけ簡単な方法でこのもやもやを消そうとします。
そうするために、どちらか片方かまたは両方かの考えを変えるだけです。
それに人間の意思決定は穴だらけです。私を含めやはり多くの人があまり考えずに結論を下そうとします。
要するにあまり頭を使わずに生きていきたいのです。という理由から、組織の契約違反は大目に見られます。
仕事が嫌だと従業員の働きがいい加減になる
仕事のストレスが多いとやはりやる気をなくすのは当然です。
仕事が嫌だと会社側に何かやり返したくなりますね。実際そんな度胸はありませんが。
不正をさせるようなところではやはりいい加減な仕事ぶりの原因になっています。
その中で気力と体力の低下や燃え尽き症候群のおかげで従業員の成績は下がります。やはり速やかにやめるべきでしょう。
あるいはバックレをしてもいいかもしれません。
仕事ぶりが適当になるのは働いている人のせいはありません。
職場側が悪いのです。
私は立場の弱い労働者の味方です。
経営者たちも不正をするか不正をしないかの2択に迫られたときバレるのが怖いはずなので不正をしないという道を選ぶはずです。
それにかかわらず不正をするということは「不正をしないとやっていけません」と言っているようなものです。
つまり、不正をしなければ潰れてしまうということなのです。とにかく心身ともにストレスにさらされ、いいことは何もないので長居は無用でしょう。
みんなが仕事を辞め始める
普通の人は悪いことをすればバレるのではないかという思いから、悪いことをするのは気持ちの良いものではありません。
自分のせいで人に迷惑がかかり、それを自分の目で実際に見るのはつらいでしょう。
このせいで誠実な人はモラルストレスを抱えます。やりたくないのに悪いことをするのはいい人が仕事を辞める大きな要因でしょう。
そして、残り続けるのは悪いことをしても良心が傷みにくいクセの強い人たちばかりでしょう。
仕事を辞められると次のような悲劇が起こります。いったい何でしょうか?
それは、少なくない費用がかかることでしょう。
退職金の支払い、後任者の募集、採用、研修費用を合わせれば結構な金額になるわけです。
ひょっとして辞めたいと願う人が団結して、せーので辞めれば倒産させられそうですね。合法的に復讐できるのでいい方法だと思います。
職場側は他にも残された人の士気の低下、販売生産の増加という打撃を受けるわけです。
従業員に不正をさせるという職場側は起死回生の一手を打たなければいよいよまずいでしょう。もし何もしなければ死を待つだけでしょう。
仕事に残るのはやばい人たちだけ
倫理水準の高い人たちは耐えきれなくなって逃げだします。
と同時に不正行為をしてもなにも思わず汚い手を使っても気にならない人ばかりが残り続けるでしょう。
不正といわれてすぐに思いつくのが物を盗む、お金をくすねる、報告の改ざん、経費の過大請求などでしょう。
このようなことをされるといよいよ取り戻せません。バレるとは限りませんからね。
やることやったら後は出ていくという選択肢もありますからね。
残った人はなんだかヤバい人だし、周りの人たちからも信用されないし、売り上げも伸びないという風な状態はあまりに危険です。
その原因は経営者側にあります。
だから、お金のために不誠実なことをしてもバレないからいいやと考えている経営者たちの好きにさせないために対策を取るべきでしょう。
具体的には、会社全体の評判を調べて年間の業務成績に組み入れることや会社の倫理的姿勢を従業員に評価してもらい、経営者の給与査定に影響させるこなどがあるいいかもしれません。
見られている感がなければ、彼らは行いを正さないでしょう。
書いていて思い出したのですが、「一週間で10キロ痩せられます」とか「たったの3日で肌荒れが治せます」や明らかに20代ぐらいの人を起用し、顔写真を加工して「これで48歳です」などとやっている広告をよく目にします。
いったい広告元の会社の経営状態はどうなっているのでしょうか?明らかに怪しいですし、だましているようにしか見えません。
潰れるのも時間の問題かもしれません。
まとめ
不正をしている会社では居心地が悪くなり、仕事がいい加減になります。
みんなが辞め始め、残るのはお金がもらえるなら悪いことをしてもいいと思っているヤバい人たちが残り続けます。
それに組織の契約違反は経営上仕方なかったと大目に見られ、リーダーもあまり罰せられないというおまけつきです。
リーダーが罰せられないのは過去にしたことよりも、これからしてくれることの方が大事だからです。それは、人は基本的に誰かを信用したいからです。
そうした場所で頑張って働いてもメリットはないでしょう。
ありがとうございました。
参考にさせていただきました。
↓
ジェフリー・フェファー 「悪いヤツほど出世する」(日経ビジネス文庫 2018年 3月)
田中 辰雄 ・ 山口 真一 「ネット炎上の研究」(勁草書房 2016年 4月)
ロバート・チャルディー「PRE-SUASION」(誠信書房 2017年)
あなたが知った情報は安全ですか?【情報操作と印象操作の話】
私は昔、印象操作だとか情報操作という言葉を知りませんでした。だから当然テレビやほとんど読まなかった新聞などの情報をちゃんと考えずに鵜呑みにしていたわけです。情報を流している側の目的やバックグラウンドなどを考えなかったわけです。
ですが、今は違います。間抜けな私でも成長はします。情報に触れる度に、発信者側の目的を考えるようになりました。考えたところで答えは知りませんが。最低限、自分で考えてみることは出来るようになりました。
街頭インタビューとかいうのも信用できなくなりました。サンプルが偏っていますし、サクラという可能性もありますしね。そんなこんなでニュースを見なくなりました。広告もあまり見たくありません。
なぜなら、いくら思わず笑ってしまうような内容でも商品の質はよくわからないからです。すぐ目の前にたくさんの広告があふれています。しかし、そのたくさんの罠から完全に逃れることは出来ないでしょう。
それでも相手の思うがまま影響を受け続けたくありません。多少なりとも免疫はつけたいものです。対抗するにはやはり発信者側の使う罠を知らなければなりません。どうやって私たちに影響を与え、私たちをひっかけるのかをご紹介します。
イラスト、音楽で注意を逸らせる
広告には楽しい音楽とイラストが付きものです。確かにただ説明されるされるより記憶にも残りやすく分かりやすいでしょう。
私もできるだけ楽しく面白い広告が見たいです。ですが、楽しい音楽とイラストには注意が必要です。私たちは相手が説得しようとしているときや商品を売り込もうとしていると多少なり身構えるはずです。
そして、相手の話に乗せられないように頭の中で断る理由を探すことでしょう。可能な限り反論しようと考えるわけです。ですが、このような考えは歌などで破壊されるでしょう。やはり相手が抵抗するということを発信者側は知っているはずです。だから音楽やイラストなどで気を逸らせようとします。
受け取る側は広告の内容と音楽やイラストを同時に頭で処理しきれなくなり、反論が難しいものになります。こうすることで理由の弱い説明内容は通りやすくなります。
時間の圧縮
もう1つ注意を逸らせる方法があります。それは時間を短くするのです。もう少し詳しく説明すると広告のスピードを少々早くするというものです。
速いスピードで語られれば、遅くゆっくりと内容を考えたい私たちは理解が追い付かなくなります。100キロのボール目が慣れてきた状態で150キロのボールを打ち返すのが難しいのと同じ理屈です。マシンガントークで説明されでも話に追いつくのがやっとなはずです。
広告を早くすれば論拠の弱い内容でも効果は上がるでしょう。相手の判断力も鈍るはずです。
事実の捏造
嘘を流して大衆を混乱させることは悪意にある人にとって望むところでしょう。私達はそのような情報に運悪く触れてしまうとどうしても振り回されてしまいます。嘘の情報に振り回されるのに私達はそれを嘘だと気づきませんし、その真偽を確かめたがりません。
これはごく一般的なことでネットを開けばそこら中に転がっていることでしょう。「真実が靴を履いている間に、噓は地球の裏側まで旅する」という言葉もあるくらいです。嘘は真実という仮面をかぶり、あたかも事実のように扱われます。それでも私達はその嘘に案外好意的なのかもしれません。
私達は証拠によって寄与されないような嘘の事実でも事実として決めてしまいからです。
何もその嘘の内容も正々堂々としている必要はありません。正々堂々としていても効き目はありますが、示唆するような匂わせ程度でも影響はあります。なるほど、これはやっただけ効果はあるので悪い人は使わない手はないでしょう。
何とかの疑惑とか何とかかもしれないと言うだけでやられ側はダメージを受けるわけです。示唆程度の言葉は気を付けましょう。それでも私達はその嘘を信じてしまいがちです。それには理由が3つあります。]
①真実か否かをよく確かめないから
②欲求を満たしてくれるから
③解釈の仕方を教えてくれるから
になります。注意してほしいのが②の欲求を満たすところです。この欲求とは自分たちより上の機関に責任を取らせたいからです。人間は何かあったときにとにかく誰かに責任を取らせたいのです。魔女狩りがまさにそうです。人間に降りかかる災いはすべて魔女が原因だとされて拷問やら処刑やらが横行しました。
また、私達は秘密を知りたいがためにゴシップに興じます。別に自分には何も関係ないないし、知ったところで何も変わらないのにです。自分だけが知っている情報を「これ実は秘密なんだけどは...」という調子で話したがるのです。
このように人間は好奇心が旺盛です。そんな人たちに向けて発信される情報の内容はとても面白く、注意を引くようなものが多いです。だから、注意が必要です。
隙を見て私たちを飲み込もうとしてくるので本当にこれは合っているのだろうか、誰が利益を得るのかを考えて防御体制を固めておきたいところです。
説得を植え付けさせる
発信者はいろいろな技のコンボを駆使して言うことを聞かせようとしてきます。事実をいじったり、注意を逸らせたり、説明を速くしたり、あるいはそれらを組み合わせてくることでしょう。もちろん今まで挙げた方法以外の選択肢を使ってくるかもしれません。それでも最終的に発信者の目的は私たちを受け入れさせることです。
受け手である私たちが注目し、理解し、学習し、記憶させてうまいこと行動に導くように説得させなくてはなりません。そして、その説得を植え付け行動させる過程は4つあります。
- 1つ目 メッセージを受け手の注意を逸らせるようなものにする
- 2つ目 論点を理解させる
- 3つ目 論点を学習し本当のことを受け入れさせる
- 4つ目 動機があれば学んだことに基づいて行動する
という4つの段階を満たしていれば説得されやすくなります。たとえすべてを満たしていなくても説得を植え付けられます。満たしていなくても結果的に受け手を操ることができればいいわけです。
終わりに
私たちの考えを導いて都合のよい思考だけに目を向けさせ続けることが発信者の理想の一つです。その間にある邪魔になる考え方を妨げ、私たちを納得させるように仕向けてきます。
嘘を流したり音楽で注意を逸らせることもしてくるので気を付けたいところです。書いていて思い出したのですが、世界の人は日本を好意的に見ているとつい数年前まで思っていました。
しかし、今は違います。いいと思っていない人の言葉を書き換えたり、そもそもごみ箱に捨てさえすれば世界の人に良く思われている印象を植え付けることができるのだと気が付きました。私は隠していることが発信者の知られてはまずい事実だと考えています。表に出てこない事実こそが発信者の弱点なのかもしれません。
ありがとうございました。
参照
トルステン・ハーフェナー 「Power of secret」サンマーク出版 2019年
A・プラトカニス E・アロンソン 「プロパガンダ」 誠信書房 1998年
【知らないと危険】勉強嫌いになる理由
勉強嫌いになるのはなぜ?
多くの人は国語、数学、理科、社会、英語といった勉強が嫌いだったと思います。私もそうでした。中学までは「多少嫌いだな」ぐらいでしたが、高校になると「もう無理」、「マジ勘弁して」というレベルで嫌いになりました。
特に古典とか勉強しても全然理解できませんでした。センター試験の問題とか運ゲーでしたね。全然当たりませんでしたが。高校の勉強は今でも全くできません。このようにどうして私たちのような勉強嫌いが後を絶たないのはなぜでしょうか。
あなたと一緒に解き明かしましょう。
嫌いになるのは選ばされたから
私たちは自分で選んだものに執着します。例えば、親に「勉強しろ」とか「あの学校に入れ」とか言われるとむかつくわけです。なぜむかつくのかというと、答えは簡単で自分で決めたいからです。
人間は選択権が得られると脳の報酬系の一つである腹側線条体という部分が活性化します。それが活性化されると人間は喜びを覚えるわけです。では、逆に選択権があたえられないと人間はどうなってしまうのでしょうか?
人間は自分で選ぶことができないと学習性無力感を覚えます。これは自分の力でどうしようもできないと感じ学習する意欲もなくなり大きなストレスを感じます。
学習性無力感を感じ続けると病気になりやすくなり死亡率まで上がります。ですから、学校で無理やり椅子に座らせ勉強させるのはあまり良くない気がします。宿題も自分の中ではまずいのではないかと思います。
自分でやる内容ややる内容も決められません。宿題の内容に不満があっても私のようなコミュ障な人間は先生に言い出せません。できなかったら罰が待っています。このような状態を満たしているととてもつらいと思います。
注目してもらいたいのができなかったら罰が待っているという部分です。これは悪手です。なぜ悪手なのでしょうか?次に行きましょう。
罰をちらつかせて勉強させる代償
私が高校時代に勉強する意味は罰を避けるためでした。テストに向けて勉強するのは留年をしないためと補修を避けるためでした。課題をやるのは居残りや怒られるのを避けるためでした。これも相まって高校1年生の頃には毎週居残りになり、2年生では0点を取り、2年生から3年生の頃には何度も赤点を取りました。
私たちの脳は快楽をもたらすものに近づき、苦痛をもたらすものから離れるように設計されています。私たちは損失を回避するために行動するのが下手くそなのです。何か悪いことを予測した時には号しても後ずさってしまいます。
反対に良いことを予測したとき、行動する方がうまくいきやすいです。だから、罰をちらつかせて勉強するよりもアメをちらつかせたり自主性に任せてあげた方がいい結果が得られやすいということです。
だから先生は勉強しないと落第だぞと言うのではなく、勉強すれば両親も喜ぶ上に苦労が少ない人生が歩めるんだよと言ってあげるべきなのかもしれません。
しかし、損失回避を煽る恐怖喚起が良い方向へ転ぶこともあるようです。ですが、この恐怖が大きすぎるとそれについて考えようとしなくなり動けなくなってしまいます。低レベルの恐怖を使うことが望ましい行動をさせるようなのです。
なるほど、でも個人的にはあまり使われたくないないですが。ただ、自尊心の高い人はすぐに行動できますが、私のような自尊心の低い人は行動するのに時間がかかります。一定に時間が経過すれば動けるようになるそうです。それでも、ただでは恐怖での行動は期待できません。恐怖で人を動かすのには発動条件があります。次の条件を満たす必要があります。
①人に恐怖を与える
②恐怖の具体的な克服方法の提示
③克服方法が効果的だと知覚させる
④受け手が克服方法をできると考える。
以上の4つが必要があります。面倒だと感じたら恐怖と具体的な解決方法のセットで動かしやすくなると考えてください。
動かしやすくなるかもしれませんが、勉強が好きになったり得意になるわけではありません。あくまで行動させるのが目的です。やるなら恐怖喚起だけにしてください。罰を与えるのと恐怖喚起は違いますのでご注意ください。
そして、人によって効果が出るかには個人差があります。先程私たちは損失を回避するために行動することが下手くそだと書きましたが、恐怖喚起とどう違うのかの判断はよく分かりません。どうもすみません。
まじめに取り組ませる力
私には人によってつらいと感じるような習慣があります。それは食事制限です。私は体の具合が悪くなることが嫌いで胃がもたれるような感覚が苦手です。
他にも見た目が老けるのが嫌です。体の具合が悪くなることと、老けるのが嫌なので食事制限を続けています。多少つらいと感じることがありますが、何だかんだで何か月も続いています。食事制限自体嫌いではありませんし、むしろ楽しさすら覚えるくらいです。それはどうしてでしょうか?
私がその習慣を能動的に自分から努力してやるようになったからです。ほかの人からやれとは一言も言われていません。1から10まで自分からやりました。要因はこの他にもあるとは思いますが、努力して自分からやったのは大きいでしょう。
これがなかったら絶対に続けられなかったはずです。ほかの分野にも同じことが言えます。強制させるのではなくさりげなく行動させるのです。
この記事のテーマが勉強なので勉強分野で考えてみましょうか。例えば問題集を自分で選び、自分で買うとか、やる科目を自分で決めさせてあげることが思いつきますね。
このような行動に影響を受けた認識がますますその人を肩入れさせることでしょう。目の前の状況に前向きに取り組ませる気持ちを植え付けさせれば勝ちです。逆に自発的ではなく努力をしたわけではない行動には肩入れしませんし、長続きはしないでしょう。
まとめ
自分からやったのではなく他人にやらされた行動はやる気が出ません。人間は自分で決めたがる生き物だということです。罰を与えるのではなく肯定的なフィードバックを与えてあげることがいいでしょう。
参考資料
ロバート・チャルディー二「PRE-SUASION」(誠信書房 2017年 12月)
ターリ・シャーロット 「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」(白揚社 2019年 8月)
【あなたのせいじゃない】スマホに依存してしまうのはなぜか?
私の依存経験
なんか精神的に疲れているときほどスマホを触っているような気がします。15歳の頃に精神をやられましてその頃は夜中の2時ごろまでゲームをやっていまして翌朝起きるのがつらかったです。そのゲームの内容も特にやることがなかったのでフレンドとの1対1の戦闘をひたすら眺め続けていました。デイリーミッションはとっくの数時間前に終わっているのにです。
もう寝ないと分かっているのになぜかやめられませんでした。それでもログインしていないとなぜか落ち着かずほかのことをやろうとは思いませんでした。わずかながらももったいないことに課金もしていました。月々確か700円から800円ぐらいだったと思います。それを数か月続けていたので中々いい金額になっていたと思います。私はかなりの時間ゲームに奪われました。
こういった人はたくさんいると思います。特に先進国のようにすぐに手に届く場所に娯楽があり、簡単に手に入る国にはたくさんのスクリーン漬けの人が多くいることでしょう。別にやりたいとも思わないのに毎日何時間もスマホやパソコンで時間を溶かす。私もその一人です。というか今も若干そういうところが抜けきれずにいます。
そこで、自分の意志が弱いんだとは思いたくありません。自分のせいにするのもなんだか嫌なのでテクノロジーのせいにしていきたいと思います。私たちがスクリーン漬けになる仕組みはどうなっているのでしょうか。
さあ、始めようとした瞬間から...
私たちは実はスマホ内の情報を知るのではなく椅子に座り、あるいはベッドに寝転んでスマホを見ること自体に依存しているのかもしれません。情報を知るよりもスマホを触ることの方が脳に深くしみ込んでいる癖になっているのです。
私たちは毎日学校やら仕事やらが終わり家に帰宅すると必ず何かしらスクリーンを見るわけです。テレビを見ながらスマホゲームをする人もいるかもしれません。確かにこれは中々の贅沢でしょう。私も10代半ばの頃は録画していた金○ロードショーやら世界○天ニュースを見ながら日を股いだ夜中にスマホゲームで遊んでいた時期があったものです。
それではスマホで遊んでいるときの脳はどうなっているでしょうか?自分自身しっかりと理解しているわけではないので多少薄っぺらい内容になりますがお許し下さい。
依存のしくみ
どうやら脳内に快楽中枢といわれる部分が存在しているようなのです。その快楽中枢に何かしらの刺激が与えられると人間は気分が高まります。その快楽中枢に電極を人間の脳内に埋め込んでみましょう。
ボタン1つで電気刺激が快楽中枢に伝わりその人は笑い出します。ボタン1つで人間をコントロールできるというわけです。だから、だらだらスマホを見てしまうときに快楽中枢に刺激がいっているんだなと思ってください。だらだらスマホを見ているのは脳が刺激を学習してしまっているからです。
目の前につるされているニンジンをつかもうとしてスマホを使うことで自分を癒していることを学んでいるのです。これはスマホを使う定位置に着いた瞬間からもうすべてが始まっているのです。例えばいつもベッドでスマホを使うとしたらベッドに乗ったことが合図となるわけです。
退屈が死ぬほど嫌いな生き物
5億年ボタンの恐ろしい点は何といっても5億年もの退屈でしょう。私ならたとえ何兆円と積まれても押したくありません。私に限らずそうだと思います。あの空間では本も読めませんし眠ることもできません。筋トレぐらいはできるかもしませんが。
他にも病院の待合室にも本や雑誌が置かれテレビが見らるところもあります。近所にあるコインランドリーの戸棚の中にも何冊か雑誌が入っています。このように私たちは退屈が大嫌いなのです。
そう、だから私たちは常に何かをしていないと落ち着かないのです。その証拠にバスや電車の中で揺られている人はほとんどスマホを見ていますよね。多分その目的も大した目的ではないでしょう。
退屈という心理的苦痛をなだめるためならどんな体験も依存になりえます。スマホを眺め続けることは苦痛を示すサインです。このような別に意味もなく同じ行動を繰り返すことは人間に限った現象ではなくどんな種類の動物でもそうです。鳥は自分羽をむしり続けイルカならひたすら円を描くように泳ぎ続けます。つまり、人間も他の動物も退屈が死ぬほど嫌いなのです。
私も今こうして文章を書いているのもその表れかもしれません。
最後に
私たちは退屈が嫌で嫌で仕方なくスマホでだらだら遊び続けてしまうのです。それは仕方のないことで私はそうした行動を責めることはできません。むしろ強く共感します。1番つらく苦しいのはやり続けている本人だと思います
。
スマホに限らず薬物中毒の人にも同情します。錯覚かもしれませんが世の中はこういった人たちを叩くような傾向があるような感じがします。人間は他人のミスを人格のせいにし、自分のミスを状況のせいにします。
もちろん私も例外ではありません。薬中の人はストレスに耐えられなかったのかもしれませんし、他にも何か精神的な悩みを持っていたかもしれません。つまり、依存とは不運なものでその人のせいではないと考えています。
依存の話題はまた今度書こうと思います。
参考にした資料
アダム・オルダー 『僕らはそれに抵抗できない』(ダイヤモンド社 2019年)
占いが当たって見えるのはどうして?
よく見かける胡散臭い占い
占いをよく見かける人は多いと思います。星座占い、手相占いぐらいしか知りませんが。あとは、人通りの少ないような場所で1回何千円とか何万円とか払って運勢を見るような商売をやっている人が創作物の世界でたまに見かけます。
私にはそれがぼったくりにしか見えません。なぜならすごく胡散臭いからです。朝のテレビ番組でよく見かけるような占いもとても怪しいし胡散臭いです。けれど、胡散臭いですがなくならないですよね?なくならないというのは、信じている人がいるいい証拠です。それでは、なぜ人は占いを信じているのでしょうか?
なぜ占いをやりたくなるのか
どうして、占ってもらいたくなるのでしょうか?それは、簡単に楽しく検査ができるからです。確かに楽しくて心躍るものなのは分かります。
どんな結果が出るかは分かりません。意外性があって予測が不可能だからなんですね。例えばボタンが目の前にあったときは誰だって押してみたいですよね。それと一緒です。何が飛び出してくるのか分からないから気になってしょうがなくなります。
当たっているように見えるだけ
よく当たる占いは、よく当たっているように見えているだけです。
例えば「あなたは人当たりのよい面がありますね」と漠然なこと言われたり結果が出たとします。すると告げられた方は人当たりのよかった記憶を思い出して納得しているだけです。人は生まれつき、反証よりも確証を探す傾向が備わっています。
何かの存在に気づくことは、その不在に気づくよりも簡単で外れではなく当たりを探すのが得意です。だから、よく当たる占いを当たっていると思い込んでしまうのです。
観察事項がおかしい
だいたい手相や星座を見ただけで未来が読めること自体おかしな話です。手相と未来を結びつけることには無理があります。手相と未来との間にいくつかの根拠がないと占いは成立しません。
例を挙げて考えてみましょう。
成立する例 成立しない例
人間は必ず死ぬ 私はおうし座だ
↓ ↓
私は人間だ 私は恋愛がうまくいく
↓
私は必ず死ぬ
占いは前提と結論の間に理由がありません。そもそもの前提が間違っていた場合や、観察事項が的外れだったとき、結論も正しくないものになってしまいます。また、理由が理由になっているかや要因が少ないものもいけません。
成立する例 成立しない例
ワンコインで食事できる(理由1) 私はいて座だ(理由1)
すぐに出てくる(理由2) ↓
めちゃくちゃうまい(理由3) 将来金持ちになる
↓
吉野家は最高
収入源が1つだと生活が安定しないし不安なのと一緒です。論理展開も理由が理由になっていて数もある程度存在しないと成り立たなくなります。
結論
遊び半分ぐらいで占ってもらうのはいいと思いますが本気であてにしようとするのはお勧めできません。欲しいのは占いではなくその先にある結果です。学業の成功や仕事での昇給、あるいはいいパートナーとの結婚かもしれません。それをつかみ取るのは占いなどではなく勉強して知識を身に着けた方がよい方法だと思います。
たとえば学業で成功したいならより効率の良い勉強方法を知る必要がありますし、いい相手と結婚したいなら自分のこれだけは譲れないものや自分と相手の性格を知っている必要があります。(まあ、私は恋愛経験ないんですがね…)また、見た目を変えるためにダイエットや筋トレをするのもいいかもしれません。
そうした方が効率的で効果的だと思います。
未来は予測不可能
たとえ高度な専門技術を持つその道のプロでも未来を予測できません。政治や経済動向の今後について専門の評論家にインタビューしても当たる確率は猿のダーツ投げほとんど変わりません。あてずっぽうよりは少しマシかなというレベルです。
未来予想はプロでもできないということです。プロでも無理なのだから占いでもできるわけがないでしょう。自分が数年後にどんな状況に置かれるかは検討が付きません。そして人間行動などその状況に応じてコロコロ変わるものです。
問題はそもそも占いの扱う世界は予測不可能なのか考えてみましょう。
参考文献
ブライアン・R・リトル 「自分の価値を最大にする ハーバードの心理学講義」(大和書房 2016年)
ロバート・チャルディー二 「PRE-SUASION」(誠信書房 2017年)
ダニエル・カーネマン 「ファスト&スロー上」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫 2014年)
ぼっちが辛い「そこのあなたへ」
プロのぼっちである私の過去
内向的であまり人と話さないような物静かな人は生きづらい現状です。
学校に行きづらくなって不登校になる気持ちは痛いほど分かります。私は、3人以上のグループワークは話に入っていけなくなるため嫌いです。今までずっと陰キャラで目立つことがとても苦手です。高校では友達が一人もできませんでした。
別に話すことができないわけではなく特に苦手意識もありません。ただ人に話しかけることがどうしてもできないのです。
今まで不登校に2回なりかけました。その内1回は人間関係の悩みでした。担任の先生がとても嫌いでした。
このような悩みを持つ人は少なくないと思います。我々陰キャラは自分たちが不利な世界でどう生き残っていったら正解なのでしょうか?
わざとぼっちになる
友達がいないなら一人の時間を大切にしましょう。
ぼっちにもメリットはあります。
まずは物事の上達についてです。優れた人たちは集団練習よりも個人で練習する時間が多いです。周りに人がいるような状況下では周囲に気が散り、自分と向き合うどころではなくなってしまうのです。1人になるとうまいこと集中状態になれるわけですね。
例えば物凄い天才画家とか1人で部屋にこもって全身全霊で絵と向き合っているイメージがありますよね。そうしていい作品が生まれるということです。
ブレインストーミングの崩壊
他にもブレインストーミングはオワコンになっています。ブレインストーミングとはよくあるアイディア会議のようなものでして、
1 判断や批判をしない
2 みんなでアイディアを多く出す
3 アイディアをブラッシュアップする
という手法です。これには問題点がありまして、個人で考えた方が実はアイディアは多く出せるというものです。また、他の人がいる中で自分の案を言うのは言いにくいです。よって、ブレインストーミングは後々大して役に立たないことが分かってきました。
みんなで一緒に考える方法は使いものにならないということです。
これを応用すると、勉強会も役に立たないと思います。友達と何人かで一緒に勉強しても大して勉強が進まず途中で飽きてしまうという経験は誰にもあるはずです。問題解決のためのアイディアも出てこなくなると思います。
私も1人の方が勉強や読書ははかどります。(まあ、一緒に勉強する友達がいないだけなんですがね...)1人でやる方が集中できますし、読書なら暇な日が1日あれば3時間ぐらいは自足させられますし。
ぼっちの私からのコメント
ぼっちを気に病む必要はありません。活かし方次第ではないでしょうか。もしも、私が偉くなったらぼっちの人に理想的な教育環境を提供することをお約束します。
参考文献
スーザン・ケイン 『Quiet 内向型人間の時代』(講談社 2013年)
怪しい噂がなくならないのは何故か
怪しい噂の例
- 小学生の頃とかに好きな人の名前を無理やり吐かされた経験はありませんか?(私は2回やられました。適当に答えてやったけど。)
- 陰謀論とか怪しいし、胡散臭いけどなくなくならない。
- 噂好きの主婦とかドラマや漫画によく出くる。
- 勿体ぶられるほど気になる。
うわさや説の解明には根拠をいくつも並べて結論を導き出さなければなりません。演繹法とか帰納法っていうものですかね?中学校でやった三角形の証明みたいなやつです。
怪しい噂の中毒性
私たちは目の前にあるボタンを押さずにはいられません。その理由は何が起こるかわからないからです。故に知りたくて知りたくてたまらなくなり最終的に押してしまうのです。
小説やアニメはとても魅力的です。何故なら展開の先が読めないからです。人間の好奇心を煽り、そして、記憶に残るようにできています。
人間は秘密に弱く、重要ではない情報も知りたいという欲求でつい調べてしまう生き物です。知らない情報がそこにある。だから、我々は明かりに群がる虫の様に惹かれるものなのです。
怪しい噂がなくならない理由
人間がどうして根も葉もないの噓を流すのかというと、何か嫌なことがあったら、とにかく他人の責任にしたいからです。
言われてみれば自覚はあるものです。試合で自分がミスをして負ければ、それを『相手方悪かったんだ』とか『チームメイトにも悪いところがあったんだ』などと考えたがるのです。
また、中世に行われた魔女狩りも好例でしょう。悪魔と契約したと勘違いされた人たちが次々と殺されました。疑いをかけられた人たちは違うと否定したそうですが、それは覆りませんでした。
確かに違うということを証明するのは少し大変そうですね。
ダメージを和らげる
方法1
質問です。あなたのとの子供を学習塾に1年間通わせました。すると、学校の成績が明らかに向上したとしましょう。さて、成績が上がったのは本当に学習塾のおかげですか?少し立ち止まって考えてみてください。
答えを知るためには、学習塾に通わせたグループと通わなかったグループを比べてみなくてはなりません。仮に前者が勝ったとして次に学習塾に通わせたグループと自宅で勉強させたグループとまた比べて、本当に学習塾が成績に影響を及ぼしているのかを確かめなくてはなりません。
少し長くなってしまいましたが、人間は目立つ出来事が連続して起きるとそこに因果関係を見いだそうとします。
私はこれによく引っかかるタイプの人間でした。テレビショッピングでよくやっている「ご覧ください。こんなに肌が綺麗になりました」式の商法にいちいち感動していました。バカみたいですよね。
話を戻すと大事なのはならなかった場合も考えることです。差異がはっきり分かるような条件を考えましょう。
方法2
リーダーは率いている組織のの成功や失敗に実際よりも大きな原因して見なされます。本当は市場の動向や従業員の質のほうがリーダーの行動よりも大きく影響されるのです。
他にも2人の人が会話をしていて自分から顔がよく見えていた方の人が会話を仕切っているように見えるのです。
これは、注目したものが原因に見えるからです。わざと注目させることで騙す側は受け入れさせようとします。そのため、背後にある要因も考えることであなたは騙されづらくなるでしょう。
参考文献
ロバート チャルディー二 『PRE-SUASINO』(誠信書房 2017年)
E. B. ゼックミスタ&J.E. ジョンソン 『クリティカルシンキング入門篇』(北大路書房 1996年)
トルステン ハーフェナー 『Power of Secret』(サンマーク出版 2019年)