【あなたのせいじゃない】スマホに依存してしまうのはなぜか?
私の依存経験
なんか精神的に疲れているときほどスマホを触っているような気がします。15歳の頃に精神をやられましてその頃は夜中の2時ごろまでゲームをやっていまして翌朝起きるのがつらかったです。そのゲームの内容も特にやることがなかったのでフレンドとの1対1の戦闘をひたすら眺め続けていました。デイリーミッションはとっくの数時間前に終わっているのにです。
もう寝ないと分かっているのになぜかやめられませんでした。それでもログインしていないとなぜか落ち着かずほかのことをやろうとは思いませんでした。わずかながらももったいないことに課金もしていました。月々確か700円から800円ぐらいだったと思います。それを数か月続けていたので中々いい金額になっていたと思います。私はかなりの時間ゲームに奪われました。
こういった人はたくさんいると思います。特に先進国のようにすぐに手に届く場所に娯楽があり、簡単に手に入る国にはたくさんのスクリーン漬けの人が多くいることでしょう。別にやりたいとも思わないのに毎日何時間もスマホやパソコンで時間を溶かす。私もその一人です。というか今も若干そういうところが抜けきれずにいます。
そこで、自分の意志が弱いんだとは思いたくありません。自分のせいにするのもなんだか嫌なのでテクノロジーのせいにしていきたいと思います。私たちがスクリーン漬けになる仕組みはどうなっているのでしょうか。
さあ、始めようとした瞬間から...
私たちは実はスマホ内の情報を知るのではなく椅子に座り、あるいはベッドに寝転んでスマホを見ること自体に依存しているのかもしれません。情報を知るよりもスマホを触ることの方が脳に深くしみ込んでいる癖になっているのです。
私たちは毎日学校やら仕事やらが終わり家に帰宅すると必ず何かしらスクリーンを見るわけです。テレビを見ながらスマホゲームをする人もいるかもしれません。確かにこれは中々の贅沢でしょう。私も10代半ばの頃は録画していた金○ロードショーやら世界○天ニュースを見ながら日を股いだ夜中にスマホゲームで遊んでいた時期があったものです。
それではスマホで遊んでいるときの脳はどうなっているでしょうか?自分自身しっかりと理解しているわけではないので多少薄っぺらい内容になりますがお許し下さい。
依存のしくみ
どうやら脳内に快楽中枢といわれる部分が存在しているようなのです。その快楽中枢に何かしらの刺激が与えられると人間は気分が高まります。その快楽中枢に電極を人間の脳内に埋め込んでみましょう。
ボタン1つで電気刺激が快楽中枢に伝わりその人は笑い出します。ボタン1つで人間をコントロールできるというわけです。だから、だらだらスマホを見てしまうときに快楽中枢に刺激がいっているんだなと思ってください。だらだらスマホを見ているのは脳が刺激を学習してしまっているからです。
目の前につるされているニンジンをつかもうとしてスマホを使うことで自分を癒していることを学んでいるのです。これはスマホを使う定位置に着いた瞬間からもうすべてが始まっているのです。例えばいつもベッドでスマホを使うとしたらベッドに乗ったことが合図となるわけです。
退屈が死ぬほど嫌いな生き物
5億年ボタンの恐ろしい点は何といっても5億年もの退屈でしょう。私ならたとえ何兆円と積まれても押したくありません。私に限らずそうだと思います。あの空間では本も読めませんし眠ることもできません。筋トレぐらいはできるかもしませんが。
他にも病院の待合室にも本や雑誌が置かれテレビが見らるところもあります。近所にあるコインランドリーの戸棚の中にも何冊か雑誌が入っています。このように私たちは退屈が大嫌いなのです。
そう、だから私たちは常に何かをしていないと落ち着かないのです。その証拠にバスや電車の中で揺られている人はほとんどスマホを見ていますよね。多分その目的も大した目的ではないでしょう。
退屈という心理的苦痛をなだめるためならどんな体験も依存になりえます。スマホを眺め続けることは苦痛を示すサインです。このような別に意味もなく同じ行動を繰り返すことは人間に限った現象ではなくどんな種類の動物でもそうです。鳥は自分羽をむしり続けイルカならひたすら円を描くように泳ぎ続けます。つまり、人間も他の動物も退屈が死ぬほど嫌いなのです。
私も今こうして文章を書いているのもその表れかもしれません。
最後に
私たちは退屈が嫌で嫌で仕方なくスマホでだらだら遊び続けてしまうのです。それは仕方のないことで私はそうした行動を責めることはできません。むしろ強く共感します。1番つらく苦しいのはやり続けている本人だと思います
。
スマホに限らず薬物中毒の人にも同情します。錯覚かもしれませんが世の中はこういった人たちを叩くような傾向があるような感じがします。人間は他人のミスを人格のせいにし、自分のミスを状況のせいにします。
もちろん私も例外ではありません。薬中の人はストレスに耐えられなかったのかもしれませんし、他にも何か精神的な悩みを持っていたかもしれません。つまり、依存とは不運なものでその人のせいではないと考えています。
依存の話題はまた今度書こうと思います。
参考にした資料
アダム・オルダー 『僕らはそれに抵抗できない』(ダイヤモンド社 2019年)